2009.11.12

南無阿弥陀仏

おはようございます、のんきです。

最近は夜型生活から朝型生活へシフトしつつあります。

しかし午前4時に起きてもいまいち「朝起きたー!」という
実感がないんですよね。まだ暗いから。

だから、つい2度寝を遂行しようとするんですが。

そこにうちのネコが私の部屋に入ってきて、
ご飯の催促なのか、私の腕に噛みついてきます。

強制目覚まし装置に怯える毎日です。


さて今回はひろ さちや氏が書いた
「仏教はじめの一歩」を読みました。
仏教について著者の考え方をまとめたエッセイです。


1クリックフォーエバー
↓↓↓
読書日記ブログランキング

南無阿弥陀仏

この言葉を唱えれば極楽浄土、つまり天国にいけるよ、と
その昔、聞いたことがあったんですが、その意味までは
考えたことがありませんでした。

あなたは誰かから恩を受けた時、その恩は与えてくれた人に
お返ししなくてはならない、そう考えていますか?

仏教で教える恩とは、相手が自分のために
何をしてくれたのか、しっかりと知ること
であり
これを知恩と呼びます。

例えば、コンビニの弁当を食べるにしても
そこには、その弁当を企画した人、その弁当を調理した人、
その弁当を包装した人、またその弁当が全部機械で
作られたものだとしても

その機械を作った人、そしてその弁当の具材となった
米や野菜や動物など、人間だけではなく生きとし生けるものの
恩を受けているんです。

これを衆生の恩といいます。

その衆生の恩を知るのが知恩であり、
それを知れば、感謝の心が生まれてきます。

恩を与えてくれた人に、恩返ししなければならない、と考えるのは
単なる取引で貸借関係です。

例えば年収200万のフリーターが大金持ちの人から
300万のカルティエの時計をプレゼントされたら、
フリーターがそれ相応のお返しをするのはすごく大変ですし、

その大金持ちが恩返しする前にお亡くなりになったら
恩を返すことができません。

ですが、フリーターが大金持ちと時計を作った人たちに
感謝の気持ちを抱くことはすぐにできると思います。

つまり、知恩というのは
恩返しの関係を超えて、衆生の恩を認識することで

そこから「ああ、ありがたい・・・」と
感謝の心を持つ、それが大事であり

それを唱えたのが南無阿弥陀仏だそうです。


他にもひろ氏の仏教観が満載です。


はっ! お気に入りの夜のお嬢さんに会えるのも、
その子を生んでくれたご両親や
お店にスカウトしたおじさんがいるからか!
南無阿弥陀仏・・・。


なんて暢気な

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
美的美容コスメ小娘 Ferretアクセス解析
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。